封筒

手作りの封筒とセンスと母

友人に、とてもセンスのいい女性がいました。
選ぶ小物も素敵なのですが、彼女のすごいところは、買ってきたものにアレンジを加えて独自のおしゃれを楽しんでいるところです。
自己流のアレンジといえば、一歩間違えは大やけど、変てこで安っぽい、いわゆる「おかんアート」になることも少なくはありません。しかしそこはセンスの成せる技なのでしょうか。
彼女の工夫は、ちょっとした刺繍をしたり、造花をアレンジしたりと、手間がかかるものでもないはずなのですが、なんともいえず洗練されたものばかりなのでした。
そんな彼女から、手紙をもらったことがあります。封筒はなく、メッセージを書いた茶色の紙を麻の紐で縛っただけの、とてもシンプルなものでした。
就職がうまくいかず、悩んでいた私を励ますために書いてくれたのです。
便箋は、めったに見ない茶色だったので、尋ねてみると、彼女は笑って「紅茶で染めてみたの」と答えました。
そんな手法があることも知らず、ましてやそんな手間がかかることを、私のためにしてくれたことに大変な感動を覚えました。

 
お礼の言葉を伝えるべく、私も返事を書こうとしたのですが、そのときについ、自分の身の程を越えた「実験」を、私もやってみたくなったのです。
便箋に工夫を凝らすことは、先を越されてしまいました。
では封筒だと、私は周りを見回して、先日買ったばかりの本の袋がなんだかおしゃれに見えることに気がつきました。
書店の袋なんて、ちょっと賢そうで素敵じゃないか?
私は便箋をその袋に入れ、しかし、あまり凝りすぎてはさりげなさが失われると考え、シンプルにまとめるべく青いインクで宛名を書いて彼女に会う日に備えたのでした。
私としては、さりげなさとシンプルさを完璧に演出した、素敵な工夫であるはずでした。
しかしその封筒を目にした母が、そっと小銭を差し出してきたのです。

 

「封筒くらい買いなさい」

 

他者の目には、そのアレンジはおしゃれではなく、単なる貧乏ゆえの選択にうつったようでした。自己流アレンジで大やけどを、自分で実践してしまったのです。
結局、お金はもちろん自分で出して、雑貨店で封筒を買い求めました。
センスなき者にとって、アレンジは大変なハードルだと思い知ったのでした。